バルバドス支援

文責 JPR副理事長 若松 淳

 

 カリブ海の島国バルバドス国へは、筆者が日本時間の2月19、20、21日と資器材のセッティングも含めて3日間の支援活動を行いました。

 

 日本では、まだ馴染みの薄いバルバドスという島国ですが、羽田空港からカナダのトロントで1泊し、

翌日の午後に首都ブリッジタウン近くにあるグラントレー・アダムス空港に向かいました。日本との時差はマイナス13時間です。

 

 

イギリスの植民地時代から独立後の現在も、同国との良好な関係を保ち繋がりが強く、古くから安定した政治と国民の高い教育水準により経済的にも恵まれた国で、サトウキビとラム酒造り(たしかに「MOUNT GAY RUM」は知っていた)が主な産業でしたが、30年ほど前から観光業が盛んになり、島を取り囲む美しいビーチを中心に発展している「超」がつくリゾート地です。あのタイガー・ウッズが休養中に滞在していたり、

イングランド・プレミアリーグの選手たちが海岸沿いに別荘を持っていたりと、とにかく超高級リゾート地でした。

 

 

滞在予定のホテルへチェックインすると、まさかのダブルブッキング!近くの系列ホテルに一人で宿泊することになり、

いきなり雲行きが怪しくなってきたぞ…と不安な気持ちで移動しましたが、なんと!空いているのが3階建てのオーシャンビュー・コンドミニアムで、1棟をまるまる1人で使用しても料金はシングル泊と同じという、宝くじ並みの幸運を引き当てたのでした。

 

 


 翌日は早朝から在日本大使館と、バルバドス災害対策室へご挨拶と寄贈した車両の動作確認に伺いましたが、

災害対策室の室長が女性で、スタッフもほぼ女性だったのには驚きました。また、アナログですが島全域で無線による

ディスパッチシステムが行われており、日本と遜色ないというのが最初の印象でした。

 

午後からは、バルバドス消防署兼消防学校に移動し、いよいよ今回の事業で配備された救助工作車(と言ってもワゴン車)と救急車

(と言っても資器材はなし)のセットアップ作業を行いましたが、納品された状態でワゴン車に山積みされた救助工作車並みの資器材を、

組み立てから燃料の指定まで一人でセットアップするのは本当に大変な作業でした。 

 

 

結論から言うと、今回の派遣で一番大変だったのは救助資器材のセットアップでした。半面、救急車は車両のみで資器材が無いため、

翌日の技術支援にならないと思い、バックボードなど固定器具一式を救急車に積み替えて17時過ぎに終了しました。

30度を超える南国での作業は過酷を極め、終了したころには汗だくでした。

 

2日目は現地の救急隊員が15名ほどの予定でしたが、集まったのは整備兼機関員を担当する1名を含む4名です。

バルバドスでは、機関員は救急隊員の資格を有しておらず、整備と運転に徹するということでしたので、

特に技術支援が必要という訳でもないし資器材もないので、3名に対して得意の外傷初療でもやりましょうかと、

隊員の教育体制と背景を確認する、

 

英国版パラメディック2名とアシスタント1名で、3人ともPHTLSを受講していると言うではありませんか。

あ、なんか見覚えのあるバッジが…。詳しく聞くと、隣接する消防学校で基本的な学習は終えていて、

さらにパラメディックとして研修を重ね、資格を更新しているとのこと…

日本の田舎モノ救急救命士なんて完全に出る幕なし!初日は記念撮影して早々に終了しました。

 


お昼ごはんは、消防学校で学生たちと並んでいただきましたが、学生たちが日本の消防学校と同じか、

それ以上に厳しい環境で教育を受けていることを知りました。まさに直立不動。こりゃ、明日も出る幕ないんじゃないだろうか?

という不安を胸に、午後からはバルバドス観光を楽しみました。

 

 

2日目、この日は救助資器材の技術支援ですが、不安は的中!すでにウェーバー社製の油圧救助器具を使用しており、

資器材が新しく更新されただけという状況でした。エンジンカッターやエアーソーなど破壊器具も、

若い隊員でさえ消防学校で学んでいたり、実際に現場で活用しているではありませんか。

消防署の横には、キレイに破壊された車両まである始末。訓練されています。苦笑

 

 

アリゾナ・ボーテックスには、さすがに食いついてきましたが、こちらは筆者も指導できない代物なので、

しかるべき所で研修を受けてくださいね、と伝えて2日間の支援活動は終了しました。

 

今回のバルバドス国は、防災体制、救急救助体制、それらの技術と、どれをみても先進国の水準にあり、

自分の技術支援は必要のない国だったと思います。しかし、コーディネートした双葉インターナショナルの方からは、

「最終的に同国で活用してくれれば支援は成功です。」という言葉をいただき安堵したところです。

 

今後も、中南米カリブ海諸国という大きな枠組みの中で、ODA事業は継続し、物資の支援をはじめ様々な分野で、

日本は影響力を発揮していくのだろうと思います。そうしたODA事業の一環に参加でき、世界の片鱗を垣間見たことは、

自分の人生の中で非常に有意義な経験だったと感謝いたします。